よーし💪

こんにちは観音堂の加藤です。

元日に大変な事が起こりました。皆さんご無事でしたでしょうか?今もなお苦しく怖い思いをされている方達がいらっしゃいます。皆さまの安全と一日も早い復興そして被災された皆さまの生活が1日も早く平穏に復することをお祈り申し上げます。

私は帰省中に被災し、避難所で生活をしていました。不安の中、自分にできる事を!と思い…と言うか思わなければ冷静に立っていられなかったんですが🥲避難していた子供達と絵本を読み、混乱していた方達とお話ししながら過ごしました。避難生活中はバケツリレーで物資を運び見事に筋肉痛です。

数日後にエンデバーで元気な皆さんに会えてホッとしましたー😭

たくさんの助けて!困った!に直面しまだ気持ちの整理がつきません。ブログに書く事ではないと思いながらどこかに吐き出したかったのです…この場をお借りしました💦不快な思いされた方いましたら申し訳ありません。

自分のできる事を少しずつがんばります😌ではまた!

コメント

  1. 匿名さん より:

    金沢は避難生活ほぼ一日でも未曾有の震災でパニックになるご家族がたくさんありました。手伝う被災者の方もあれば、要配慮者で意固地に「ワシは○んでもいいんや!」とご家族を困らせる様子に説得したり早々に帰宅される方々を校長先生もパニックなので、協力し校内放送で自制を呼びかけたり、地区防災士が冷静に動けない、統率がないので毛布を一箇所に配布しすぎて校舎は寒い。ペット問題でこんな所に居るの?や少なくとも私の校下はバラバラでした。なので私は分団の副(分団長)など情報収集に徹し、動ける人に(隣のおっちゃん)「指揮を任せたぞ。」と。また一緒にエコノミークラス症候群対処法など各教室等に説明、足りない物やニーズに対しての対策を取り潮位の変化も確認し、パニックを抑えることが初動でした。実際、発生時私自身外にいたのでたまたますれ違った女性に「デカい!しゃがんで身構えて!」と声をかけて、自助しながらその方を歩道の真ん中に移動させたり…。当然立てない揺れ方のエネルギーの地震なので「能登や!」と判断し、その方ご家族を避難させてから小学校に走って行きました。
    落ち着き出したのは23時回ってからです。
    一旦着替えて必要なものを実家から持ち出し、母親を無理にでも小学校に移し、ガス、メインブレーカーを切ってその時の私の立ち位置にある名札下げて小学校の巡回をしながら被災者の方々で寒さや体調を伺いながら「もう少しの辛抱。」と声掛けしてました。
    当然、その時は能登の状況把握しており一段落したら(七尾大丈夫かなぁ…。奥能登は…。)と整理しながらこれからの自分の動くべき事を考えてました。加藤さんから現地の状況を聴くまでメディアの映像しか大震災の状況が掴めませんでしたから、発生時一週間はどこにどう何が必要か聴いてみれば逼迫してました。今現在もですが、自衛隊も1500人野田を空っぽに出来ないですし、第6航空団隷下も同じく小出しするしかなく空路ヘリ輸送しか出来ない道路状況…。

    そんなかんだで今は私が出来る(お呼びがかかった時含む。)事に専念出来るようになり、ふと想い出した事がありました。

    ある御一家が体育館に一晩避難されてたのですが、年頃小学生中学年位のお子さんがパーテーションの外で頭から毛布に包まりゲームをしているのを見かけご両親に声掛けしました。ご両親は「どうも拗ねてしまって、ここがいいと動かない。」旨を聴き、何かありましましたら声掛けてくださいと。どうも自閉スペクトラムの男の子の様で、避難所にストレスを持っていたようです。お父さんはそれを仰りませんでしたが、夜中唐突に個人トイレに籠もってしまったりお父さんがしきりに探されてましたので一緒に確認したり、何かあったら巡回してますから私に遠慮なく声掛けてくださいと。
    こういったケースも石川県内避難所で現在もあると知り、あの時がそうやったんか。と。
    そういうケアも福祉同様必要なのだなと考えさせられました。
    そして被害甚大な能登は共助協力してゆく方々も燃え尽き症候群になってご自身がうつになったり、フラッシュバックで急に体調不良になったり自責することで災害関連死といったケースがあります。
    私は幸いにもスイッチングウィンバックではないですが、オン・オフが何故か出来ますのでなったことはないですが、体力的に疲れたのか5日からお休みを頂き今日も泥のように寝てました。体力も回復傾向ですし、津幡町社協の依頼で少々活動に行ったりスイッチ切り替えながら自分が”今”出来る事、そうでない事を心がけて自重しています。
    勿論七尾から奥能登は手が付けられず今も地震活動は続いてるし、本震も余震もない流体型の地震は何度も起こります。元旦の地震は兵庫県南部地震、阪神淡路大震災のエネルギー・モーメントマグニチュード7.4といった破壊的な力が細い石川県を長周期地震動で襲いました。
    これは阪神淡路大震災の2倍に当る破壊的エネルギーで、また起こるかも解りません。
    今も震度4クラスの揺れは能登で頻繁してます。災害泥棒・デマゴギー・スタンドプレー・迷惑YouTuber的存在の流入。果てはゴミを支援物資と称して送りつけそれが無法地帯のSNSで拡散されたり石川県庁や国の支援物資は賞味期限切れといった批判。今は自衛隊の初動批判する状況です。

    一刻も早い復興が望まれますが、今春以降も長い復興になるのは誰が見ても明らかです。
    自分が出来る範囲の知識・体力・精神内で動く、本州自衛隊・消防救急・機動隊・海保の方々に感謝し、東北地方太平洋沖地震や熊本地震の反省点を活かして、何れ起こるかも知れない災害に備える事も大事です。
    こういった震災では”一人じゃないよ。被災者のみんながお互い共助しているし、沢山道徳ある日本人がボランティア活動来るよ。親身一体。”という事を常に心において活動できる日は活動し、日常は日常。甘えていい事はニーズとして上げてね。と言う事です。

    長い話になりましたが、私は国家資格ではないですが資格を持ち、常にフォローアップ研修に参加し、その時に備えて動けるようしているだけで、被災者の方々の声を聴く、それに出来る範囲で応えるようにしています。
    頑張ろう!よりみんなで助け合おう!ですよ。
    私のポリシーというかレゾンデートルはそこにある、と考えて今を生きてます。逝ってしまったヒーローの言葉がそうさせてます。

    長文失礼致しました。失礼致します。

  2. 徳つむおっさん より:

    🫂

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